Vol.1 アイデンティティ

――One & Only のVision に、"自分らしく幸せ"に生きる人を増やしたい、イキイキ、キラキラとした大人が大勢いる世の中を実現したいと書かれていましたが、ご自身が大切にしている考えや信念はありますか。

最も大切にしているのは、「自分軸」を持つことです。それが大事だと気付いたのは、16〜17歳の頃ですね。実は、父親の仕事の関係で、中・高校生の時に5年間ハワイに住んでいました。

3月に日本の小学校を卒業してから行ったのですが、ハワイの学校は9月に始まるので、もう一度向こうの小学校に入り直したんです。父親に連れられて学校へ挨拶に行き、一番初めに出会ったのが、青い目をした女性の校長先生でした。

先生に英語で話しかけられたのですが、何を言っているかさっぱりわからなくて。もじもじしていたら、「サチエ、いい。ここはアメリカなのよ。アメリカでは、ちゃんと人の目を見て話しなさい」って言われたんです。ものすごいカルチャーショック(笑)。それが最初のインパクトでした。

――すごい衝撃的な経験ですよね。それから、どんなことが起こったのですか?

その後も、「サチエは、何がしたいの?」ということを良く聞かれて。「わたしは……」というところから話し始めなければいけない文化というのが衝撃的でした。というのも、日本で暮らしていた時には、自分の意見を「わたしはこう思う」という風に話す機会はなかなかなかったんです。

ハワイに来てからは「なんで、サチエはそう思うの?」っていうことをすごく聞かれるようになって、自分が何も考えていなかったことに気付きました。これまで「こうこうこういう理由からこう思う」ってロジックで考えたことがなかったし。自分が「こういう風に思う」、そのバックグラウンドを話すことが大切なんだ、と思ったんです。

改めて、わたしは何を大切にしていて、何が良いと思っていて、どんな価値観を持っていて、何がしたい人なんだろう、と自分への問いかけをすごくするようになりました。

それから、「サチエは……?」という問いに対して、「わたしはね……」って話してみると、それを受けていれてくれる土壌がそこにはありました。「サチエは、そう思うんだね」という受け入れ方なんですが、自分の意見が否定されないんです。反対意見があった時でも、「ちなみに、わたしはこういう風に思うよ」という形で返ってきます。

意見が違った時には、「じゃ、それどうしていきたい?」ということを話し合っていくんです。日本では、会議で声の大きな人の意見が通ってしまうことってありますよね。ハワイ(アメリカ)では、どちらかが意見を押し殺すということはなく、建設的な議論ができました。

――人それぞれ「違っていい」というのをすごく感じますね。「サチエは……?」という問いかけによって、じっくり自分を見つめる機会になったように感じられますが。

そうですね。振り返ってみると、中学や高校での授業を通じて、「自分軸」が形成されていったと思います。

たとえば、国語(ハワイでいう英語)の授業ではエッセイを書くのですが、テーマが「わたしの夢」とか「将来なりたいもの」、「自分が今までやってきたことで達成感があったもの」、「自分は何者か(Who am I ?)」といった、すごく自分に対して問いかける、"私視点"を問われるようなもので。
一つのまとまった「自分の思想」を表す成果物を作るというのが、テーマになっていることが多かったですね。

歴史や経済の授業でも、たとえば、戦争について「この国はどういう立場だったから、どうだった」というのを、プロコンという、賛成(プロ)と反対(コン)のどちらかのスタンスを取ってディベートをすることもありました。

そういう時って、自分の意見を持たないと、何もできない状態になるんですね。そうすると、「自分って何者?」「自分って何をやりたいんだっけ?」と、自分に矢印が向いてきて。こうした授業をきかっけに、自分について考えるようになり、それを言葉にしていくことで、自分を知り、自分で決めていく、ということをすごくするようになりました。

――「自分で決めていく」という言葉が、力強いですね。自分で自分の人生を選んでいる感じがします。

そうですね。高校を卒業して、どの大学へ行くかを決める時に、結構成績が良かったので、アメリカのいろいろな大学から「うちの大学へ来ませんか?」というオファーがありました。 成績上ではどの大学へも行けたのですが、ふと立ち止まって考えた時に、「本当にアメリカの大学に行きたいのかな?」「わたしって、どうしたいんだっけ?」というところに立ち戻ったんです。

本当に何をしたいのかを考えた時に、だんだんと自分の中に「日本人」というアイデンティティが芽生えてきて、「日本のために何かしたい!」という気持ちが湧きあがってきました。日本人として生まれたからには、まず自分の国を良くしたい。そして、海外との架け橋になるようなことをしてみたいと思ったんです。

そのために何ができるのかを考えた時に、ハワイへ来て英語を話せるようになったので、それを生かして、子どもたちに「英語を伝えたい」と思いました。英語という言語を教えたいんじゃなくて、もっと日本の子どもたちが、英語というツールを使って外の情報に触れ、自分の視野を広げていけたらと。

英語を知ることで、世界が広がれば良いなと思ったんです。日本で英語の先生をやるために、教育学部のある日本の大学で学ぼうと思い、日本へ帰る決意をしました。

――それから、どのような選択をされていったのですか?

学生時代の間、「英語の先生になりたい!」という気持ちは変わりませんでした。そこで、大学4年の時に教育実習へ行ったんです。

わたしはハワイの中学校へ通っていたから、日本に母校がないので、まずは東京都の中学校へ電話をしてみました。「実習に行きたいんですが、良いですか?」と聞いてみたのですが、受け入れてもらえなくて。次に、電話帳に載っている神奈川県の中学校を、上から全部電話してみたんです。

そしたら、「いいですよ」って引き受けてくれる中学校があって。その時に、ある女性の先生に出会いました。

国語か英語の先生だったと思うのですが、その方は大学を卒業した後、会社勤めをして、結婚し、子どもを産んで、先生になりました。 実習の間、いろいろな先生の授業を見せてもらったのですが、その先生の授業が、一番子どもたちがイキイキしながら、楽しそうに聞いていたんです。その時、「なんて魅力的な授業をする人なんだろう。こういう先生になりたい!」と思いました。

その先生と、お昼休みやお昼ごはんを一緒に食べさせてもらった時に、いろいろな話をしました。その時に先生から、「先生にはいつでもなれるけど、社会人を経験するなら今の時期の方が可能性はいっぱいあるんじゃない? 社会を見るには、今この新卒の時期を逃すとむずかしいかも。先生になったらなかなかできないよ。1回社会人を経験してから、先生になるのも遅くないんじゃないの?」と言われたんです。

その言葉がすごく腑に落ちたので、そこから就職活動を始めました。いろいろなところを受けたのですが、最終的には、働いている人たちが一番キラキラしているように見えた会社に入社を決めました。

――すごく納得しながら、自分の進む道を選んでいる感じがしますね。

そうですね。自分の人生を主体的に、自分で責任を取って舵取りしていくと、本当に自分の人生を生きていく感じがあります。毎日を120%本気(マジ)で生きているからこそ、後から振り返った時に「納得のいく人生だった」と言えるのかな、と思うんです。

先のことを見るのではなくて、「今」をすごく大事にしながら、全力で一瞬一瞬を生きていく。その積み重ねが未来を創り、過去も創るのだと思います。自分で自分に責任を持って、自分で決断して生きていく。そうした「自責の人生」が大事なんだと思います。

インタビュアー、ライター 大八木 智子
フリーライター。神奈川県生まれ、横浜在住。
介護、子育て、医療、食など、くらしに役立つ情報を、新聞・雑誌・WEBなどに執筆している。
Webサイト:http://www.oyagitomoko.com/

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Contents
  • 01セミナー/ワークショップ
  • ソース・ワークショップ
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  • 02メッセージ&ストーリー
  • Vol.1 アイデンティティ
  • Vol.2 リレーションシップ
  • Vol.3 キャリアデザイン
  • 03生田早智江って、どんなひと?
  • 04事業概要/代表プロフィール